2009年12月アーカイブ

#422

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昨年は『笑っていいとも!』のクリスマス特大号を忘れ去ってしまっていたが(#286 参照)、今年は休日ということもあり しっかりスタンバイしている。
昨年 観られなかったタモさんのオープニング・アクトを、今年はじっくり味わおう。

とはいえ、来月に控えた結婚式/披露宴、そして二次会に向けての準備で、このところは忙しい。

「忙しい」という字は「心を亡くす」と書く。

もちろん、ここでいう「心」とは、「タモさんを思う気持ち(タモ心)」を指す。
忙しいと、タモリがなくなる。タモリがなくなってしまったら、もうお昼休みにウキウキできないのだ。ガラクタも処分処分できない。

だが 今年は昨年と違い、タモ心を深層に据えて、今日という日を迎えた。ひとつ成長できたといえるだろう。

さて、年の瀬です。
あなたのタモ心は、いかがでしょうか。

#421

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ジョナサンのトイレの個人ブースのトビラの内側に、ハナばかりかアゴまで伸ばされてしまったピノキオのカオみたいな金具を発見。

この更新の味わいどころは、冒頭の“の”の多い文章。ワードだったら緑の波線出まくり。


#420

「板垣死すとも自由は死せず」と板垣退助が叫んでから、130年弱。彼が命懸けで手にしたかった自由とは、こんなものだったのか。

会社の忘年会。
そろわないビンゴカードの「Free!」のマスを見て、じりじりする僕は そう思う。

実態を伴わないコトバは、そうでないものとの違いを注視し その意味を推察すると、なんだかガッカリすることが多い。
例えば、「スタミナ焼き肉丼」と「焼き肉丼」の違いが、温泉卵のあるなしであるように。スタミナって、鶏卵で片付けられるものだったのか。

件の「Free!」は、いきなり穴をあけられる程度の意味でしかなかった。
そしてその「Free!」は、なんとなく まぬけにクチを開けているようで、効力を発揮することなく ただ向こう側の僕の人差し指を見せている。ビックリマークが かなしい。

その観点からの、「板垣死すとも自由は死せず」。
板垣退助は どうしてもビンゴカードに穴をあけたかった、という史実。自由民権運動。


#419

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新橋の居酒屋の敷き紙? に描かれていたイラストが、あまりにも植田まさし先生風だった。ナベの汁等でびちゃびちゃになる前に 素早く撮影。

しかし、よく見ると女性の頭部に“$”みたいな髪飾りがないので、本家ではないと思う。

いや、“$”みたいな髪飾りがあるのは茶髪のときだけだから、このイラストが本家ではないとは言い切れないのか…。

いや、植田まさし先生が 新橋の居酒屋の敷き紙? のイラストを描くワケがないだろう。

#418

新しい概念を提唱しても、共感を得られないことは ままある。「いや、それはない」のひと言で闇に葬られていった、僕の考えた新しい概念。
だが、その中で深い共感を得られた概念もあった。

そのひとつが、「おすもうさんのニオイ」だ。

妻に初めてその概念を提唱した際、やはり一笑に付された。「なにそれ気持ち悪い」とも言われた。おすもうさんに失礼だ。
いや、「おすもうさんのニオイ」という概念は確かにあるし、僕はその概念を肯定的に評価している。つまり、いいニオイだと思っているのだ。
それはまるで、ベビーパウダーのような、甘く柔らかなニオイ。

論より証拠。僕は虎視眈々と、おすもうさんが近くに現れる日を待った。そうすれば必ず、妻は解ってくれる。

妻となんとなく街を歩いてたとき、おすもうさんとすれ違う機会に恵まれた。そしてほどなく到来した「おすもうさんのニオイ」。

「ホラ、これぞ『おすもうさんのニオイ』!」
「…ホントだ!」
新しい概念が、光を浴びた瞬間である。

いま妻は、「おすもうさんのニオイ」のような 練り香水をつけている。きっと、妻にもあのニオイは 肯定的に評価されたのだろう。

だから僕は、ムネを張って言い続けるのだ。「『おすもうさんのニオイ』というものがあると思う」と。

東京異常階段 について

■ 作者:
 文豪きどり
 松岡
 1982/05/29 -
 好きな食べ物は屋台の焼きそば
■ 概要:
 □ 異常階段:
 東京近郊に存在する たぐいまれな階段を紹介
 □ column - TokyoShortSight:
 東京に住むいち人間として近視眼的にモノを見て、そのことについて書いてます
■ メール:
 matsuoka@ijo-kaidan.net

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