2009年8月アーカイブ

#373

スーツ用のベルトを購入した。

長さがまったく合わなかったので、慎重に長さを測りつつ 不要と思われる部分を切り落としたところ、案の定 切りすぎてしまった。
僕はいったい何を、慎重に測っていたのか。“慎重”というコトバの定義って、なんだろう。

妻には「なんでちゃんと測らないのか」「ちゃんとズボンをはいてそれに合わせて切ればよかったのに」「切ってしまったものはもう戻らない」「私たちは未来には行けるけど過去には決して行くことができない」などと、散々に言われた。

いや、もうやめてくれ。実は本気で泣きそうなんだ。

「はなちゃん(飼っているうさぎ)の遊び道具になっちゃったね」と、自身のメンタルを取り繕いながらケージの中にベルトを入れたり出したりしてみるが、うさぎも大して遊ばず。ムリヤリ腰に巻いてみて「いちばんヤセていた時代だったら入ったかも」と言ってみるが、それもまた厳しく虚しい。
まさに、すべてがないものねだり。

僕はちょっと笑いながら、非生産的なベルトを 机にそっと置く。つんつるてんになったベルトと 対峙する夜。


#372

某テーマパークに隣接しているホテルで 来年の 1月に 結婚式と披露宴を挙行する予定なのだが、その衣装に関する打合せの予約電話をした際 「陰陽師をいただいてよろしいですか?」と受付のおねえさんに言われ、困った。

電波の関係で コトバが途切れ途切れに聞こえてしまったのかと思い、「すみません、聞き取れなかったのですが」と再度の質問を要求したところ、おねえさんは「はい、陰陽師を頂戴したいのですが…」と変わらぬ返答。もう一度「えっなんですか? おんみょうじ?」と聞き直しても、「はい、ご新郎さまの陰陽師をいただきたいのですが…」と 修飾語がついての返答。うん、いや、僕は、メインのコトバの意味が解らないのだよ。
僕は困り、相手も困り、まさに膠着状態。

“ご新郎さまの陰陽師”というワードから そこはかとなくエロスの要素が漂ってくるが、今はそういう場合ではない。
この おねえさんが僕に要求していることが解らない。僕は僕の何を このおねえさんに差し上げればよいのか。

ラチがあかないので、「おみおじ? ってなんですか? 何かを持っていってお渡しするんですか?」と 聞いたところ、なんとおねえさんは沈黙。完全に僕のアタマがおかしい感じに仕上がっている。

しばらくしておねえさんは、「あの、名字、なんですが…」。えー。

名字は「お」をつけるものなのか。「お」をつけたら「陰陽師」に音が近くなってしまうではないか。あと名字はあげたりするものなのか。その場合「お名前お伺いしてよろしいでしょうか」が正しいのではないか。
いろいろと疑問点が浮かんだものの、「名字でしたか! すいません。はっは〜(?)。 まつおかです」とオトナの対応。「はっは〜」の部分でアタマがおかしい感じを演出。

日本語には尊敬の表現があって いい文化だな、と思うが、こういうときに不経済だな、とも思う。今回の(メンタル的な)経済損失も、計り知れない。



#371 これからのテンション

現在、SMAP が 並んで階段を降りてくる CM が放映されているが、これを観た僕は ものすごい既視感にさいなまれた。

うわー、なんだっけ、この スゴイことが 始まるぞー! みたいな感じ。これから 5人でやってやるぞー! これから スゴイぞー! という感じ。
5人並んで階段を降りてくるだけで、"これからのテンション"が 最高潮になるのだ。でもこれ、もう 誰かが やってるじゃん。

5人で スゴイことをやってやる、という点では、『ドラゴンボール』のギニュー特戦隊が 該当するが、彼らはポージングは スゴイものの、並んで階段を降りてくる、というシーンはない。
スゴイことをやってやるために 階段を降りてくる、という点では 『森田一義アワー 笑っていいとも!』のオープニングが 該当するが、タモさまは 5人分の仕事をするとはいえ(あるいは 週5 で 階段を降りてくるとはいえ)、確実にひとりだ。

5人並んで 階段を降りくる、"これからのテンション"の 元祖は誰だ。そして スゴイことを始める 5人とは、いったい誰なんだ。
(僕の中でだけ 巻き起こっている)議論は 暗礁に乗り上げたかに思えたが、 ついに 僕は 答えにたどり着いたのだった。

答えは、これだ。




さて、SMAP が 階段を降りたあとに どのくらいスゴイことをやってくれるのかは解らないが、『もしも威勢のいい銭湯があったら』のコントを期待するのは、すこしばかり 荷が重いだろうか。

#370

小学生くらいの頃、こども会か何かの行事で 集会所みたいなところに行った際、唐突に G (*) が発生したことがあった。
逃げまどう女子。テンションの高まる男子。

阿鼻叫喚の中 係のオトナたちが一丸となり、G (*) を追い回す。ある者は丸めた新聞紙を持ち、また ある者は G (*) が隠れる場所を与えないように 障害物をどかす。
やがてオトナたちは G (*) を撃破。こども会かなんか何かの行事に、再び平穏が訪れた。

かりそめの激闘により、やや 荒れてしまった会場を直すオトナたち。ひと仕事終えた感が、なんだかカッコいい。
これが、オトナなのか。

そして、その中のひとりがつぶやいた言葉を、僕はいまでも忘れられないのだ。

「いやー、久々にセッションしちゃったよ」

セッション…!
これが、オトナというものなのか…!

いま僕は 27歳であり、社会的にはオトナである。なにかを しでかしたら、実名報道される。

しかし いま僕は、G (*) を撃破した後に 涼しいカオで「セッションしちゃったよ」なんて つぶやけないだろう。丸めた新聞紙だけで立ち向かうなんて、とても…。

こども会か何かの行事だったが、それはある種 オトナ会か何かでもあった。


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(*) G … 黒光り・素早い・いきなり飛ぶ・3億年前より生息・夏の風物詩…などのキーワードから連想される、彼のことだ。


#369

僕は つり業界にはまったく疎いので なにも語ることはできないのだが、つり情報誌のテンションは どういうことだろうか。

僕のもつ つりのイメージは、よく晴れた休日の午前中に ゆったりとした気持ちで楽しむ、というものである。
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』に見られる バス釣り大会のようすが、僕のもつ つりのイメージのもととなっているのだろうか。

しかし 書店で見かける つり情報誌の表紙には、波しぶきをあしらったようなフォントで『つり野郎』みたいなタイトルが ピチピチと踊り、そのタイトルをかぶせるように 大物をつり上げた漢(おとこ)が すごい表情で写っている。
休日のゆったりしたイメージは、どこに。

そうなると、もうシュミとしての つりというより、"漁師"または"遠洋漁業"あるいは"排他的経済水域"では あるまいか。

ただ、他の情報誌を見ても シュミの範囲を超えるような記述・演出が見られるので、つり情報誌は たまたまベクトルがそうなっただけなのかも解らない。
もし読者のみなさまの中で つり業界に明るい方がおられたら、つり情報誌のテンションがあのようになっている理由について お教えいただきたい。

自分の興味の外側にあるシュミの雑誌って なんだか面白いので、もっと読んでみようと思う。

#368

先日 結婚指輪を取りに妻と表参道に行った際に なんとなく立ち寄ったアンテナショップで、ズームイン!! Super! の取材を受けた。

まず、「結婚指輪を表参道で作る」というのがピンとこない。あと、ズームイン!! Super! が僕らを取材するのもピンとこない。自らのアイデンティティに相反する展開。
人生レベルでいろいろとしっくりこない中、誘導尋問的なインタビューを受けて 取材は終了した。妻も僕も ベストとは言えないかも解らないが、ベターな受け答えをしたと思う。

そして今朝、放送を観た。
妻が、ズームイン!! Super! に出ている。画面いっぱいに映っている。ワイプ内の羽鳥さん西尾さんと共演している。しゃべっている...!(字幕つき)

さて 僕はというと、着ていたポロシャツが見切れた程度。僕の受け答えは、丸ごとカット。
これぞ 僕のアイデンティティ。いつもどおりの展開でヨカッタ。

#367 ブログらしい文章

仕事の話。

あくまで 個人的な主観であるが、作成中のドキュメント名称やシート名称が『サブシステム構造図(工事中)』とかって (工事中)と書かれてあると、なんだか やや 残念な気持ちになる。
どうしても許せん! ではなく、「あ〜…」って思うような、やや 残念な気持ち。そこは別に (作成中)で いいじゃん…。

#366

以前、「地下鉄駅構内やドラッグストアのニオイがスキだ」と記したと思うが、同じように 公共施設のニオイもスキだ。

読者のみなさまが 区役所や図書館などの公共施設のニオイをどこまでお解りいただけるか たいへんグレーなところであるが、僕はあのニオイがスキなのである。
なんだかこう、爽やかでありつつも まったりした、不思議でステキなニオイ。

いまは 通勤の途中で豊島区役所の前を通るのだが、冷房の風に乗って区役所入口から漂ってくるニオイにつられ、危うく中に入っていってしまいそうになるのだ。
毎朝 僕は、夢現の狭間を行ったり来たり。

ポイントとしては、前述した通り 複数の公共施設でステキなニオイがするところである。
そのニオイは、区役所や図書館、警察署、税務署でも確認できた。

言い換えるとつまり、税金のニオイ、ということになる。
施設に税金が投入されると、あのステキなニオイが漂うのか。

そういえば、新宿の 三菱東京UFJ銀行でも あのステキなニオイが漂っていた。
そうなると いよいよ、仮説の確からしさが証明されてくる。

#365 やっと 1年分

先日の ヤバ景イベントでのこと。
その日のお台場は 多分に漏れず蒸し暑く、日差しはまったくないのに 少し屋外にいるだけで 汗が出るような陽気だった。ゆりかもめ青海駅から会場に向かう数分で 汗ばむ。

そんな陽気である。中には 背中が のっぴきならないほどに汗まみれの人もいた。

僕は最初、そういうデザインの Tシャツだと思っていたのだが、同行した友人に「あの人 汗すごくない?」と言われてから その人の背中が汗まみれだということに気づいた。

そして 友人はさらにひと言。
「『かきあせ』ってヤツだね(?)」。

全国的に 汗まみれの人を『かきあせ』というのか解らないが、その 汗まみれの人の目線で言えば、すべてをひっくるめて 余計なお世話である。

#364

ハナの穴の出入口付近に、白っぽい吹き出物ができた。

そう、ものすごくハナクソっぽい。

触れると柔らかな痛みを感じるのだが、触れなければ存在を忘れるそれ。トイレットに行きカガミを見るたびに「ハナクソ付いとる! ...ああ、なんかできてるんだっけ」となる。

しかしながら、いまは仕事中。ハナクソっぽいサムシングを ハナの穴の出入口付近につけたまま仕事をしていれば、あらぬ誤解やまさかの事故を招きかねない。
だから僕は痛みをこらえ、それをつぶした。痛みに耐え、よくがんばったほうだ。これでひと安心。フェイク・ハナクソ、さらば。

小一時間経ち すっかり吹き出物に悪戦苦闘したことも忘れ、再びトイレットに向かう。カガミを見る。
「ハナクソ付いとる! ...ああ、吹き出物が復活してるのか」。

まぁ何度もトイレット行ってないで 仕事しろって話ですよね。

#363 ヤバ景

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「ヤバい景観的・東京88景」に行ってきた。

「ヤバい景観」とは、いわゆる「あまりよくない」と言われる景観である。だが、これこそが僕の原風景であり、東京らしさであると思う。
イベントの中で、東京外周に見られる「建売住宅+高圧電線の鉄塔」のコンボが「ヤバい」と評されていたが、このヤバさが まさに 僕にとっての「ふるさと感」であった。♪バッタ追いし団地裏、ボール浮きしドブ川、である(*1)。

しかし、そのような景観は日本の文化価値を下げるから、欧米のような美しい景観を創ろう! という動きも まま 見られたりする。
確かに それもひとつの美ではあると思えるが、無秩序な都市もまた、美であると思う。東京という都市がもし 計画的に構築されていたなら、きっと とてもつまらない街になっていただろう。
なにより、欧米のような美しい景観を創ろうとして いまの東京らしさを破壊してしまったら、東京のアイデンティティは どうなるのだろうか。なんだか日本人なのに コドモの名前を欧米風にする感じに 似ている。

景観には 良いも悪いもなく、そこに想いが付随するかどうかだと思う。
僕がいままで見てきた 「ヤバい」景観にも、「美しい」景観にも、どんな景観にも、思い出がある。団地のサビたフェンスにも 高原の牧場の景色にも、思い出がある。
仮に 思い出が「美しい」ものであるなら、どんな景観も「美しい」ものになるハズだ。

誰かが「ヤバい景観」を いわゆる「美しい景観」に変えたとき、誰かの「懐かしさ」も消える。生まれ育った村が ダムの底に沈んでいくように。
しかし、村が沈んだ代償として 潤沢な水源が確保できるように、「美しい景観」は「ベンリな社会」を生むワケではないだろう。
そう思えば、景観に対して 良いも悪いも言えなくなる。ましてや、それを変えてしまおうなんて 言えるものだろうか。

幼少の頃、生前の父さんと自転車で散歩した、埼玉県と東京都の境界にある 工場の横に流れる汚いドブ川の桜並木道に、行きたくなってきた。あの景観は ヤバい。

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(*1) 唱歌『故郷』のメロディに合わせて読んでください。

#362

携帯電話から更新するときは名前が変わるようにしてみた。

それだけだ。

#361

駅の階段を昇っていると、同じように前を昇っているおっさんのカバンの中身が チラリと見えてしまった。そこにはヘアブラシがあった。

おっさんだなんて失礼なことを思ってしまった。彼(以下:ダンディズム)はキチンとおしゃれに気を遣っている。
加齢に伴う見てくれの喪失は仕方がないこと。ただ そこにあきらめてしまい、清潔感までをも失ってしまうのは言語道断だ。
その人がおしゃれかどうかのステータスは、年齢を重ねて初めて意味をもつものであると、僕は思う。

ダンディズムは、年齢を重ねても あきらめていない。だからこそ、ヘアブラシをさりげなくカバンに忍ばせている。

僕は そんなことを思いつつ、階段を昇り切った。
すると、足元とカバンしか見えていなかったダンディズムの全貌が見えた。

ハゲ散らかってるじゃん…。
ブラシ いつ使うの…?

ダンディズムは年齢をあきらめていないが、頭髪および頭皮は あきらめていた、というお話。


#360

先日の都議会議員選挙において、ある候補者の選挙ポスターに記載されていたキャッチコピーが「すごくやる男」だった。

「すごくやる男」。
主語・述語・修飾語を明確にすると、「男はすごくやる」。

他の候補者のキャッチコピーには、生活・福祉・教育・雇用といった、自分が注力したい政策や 自分が是正したい問題等が、項目ベースで書かれていた。
目に触れるだけのポスターである。多くの候補者は 伝えたい内容を簡潔にまとめ、解りやすく的確で口当たりのよいコピーを記している。

その中で、「すごくやる男」。
注力したい政策とか是正したい問題とかじゃない、やるのはオレだ! オレがすごくやるんだ!
伝えたい内容はビンビンに伝わる。

そのキャッチコピーは、やけくそなのか、一周回って「これだ!」なのか。
どちらにせよ 次期都議会議員選挙においても、ぜひ「さらにやる男」もしくは「もっとやる男」的な、あぶない刑事メソッドで 出馬していただきたい。


#359

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新日鉄君津の製鉄所に行ってきた。
行きの武蔵野線から見える空は よどんでいて、これは泪雨の到来もありうるかと覚悟していたが、ご覧のとおり 天候に恵まれた。

工場見学とは、日常を構築している非日常を垣間見る行為。
それはとてもエキサイティングで、自分自身の存在する世界とは ここまで面白いものかと再認識させられる。近視眼的にしか世界を見ることができない僕であるから、それはなおさらである。

友人の提案で工場見学に繰り出したのだが、工場見学(ひいては社会科見学全般)についての その友人との共通の見解は、「コドモにはまだ早い」である。その多くは 児童・生徒を対象としているが、ある程度の視野と思慮を持ち合わせているオトナでないと、工場見学の本当の価値は解らないと思う。
それは決して「コドモがジャマだ」というエゴイズムによる理論武装ではなく、率直な感想である。

実際 コドモたちは、見学のお伴にと販売されていた フライドポテトやかき氷などに対して、エキサイティングになっていた。

しかしながら、コドモたちにも工場に興味をもってもらいたいのも事実である。ここで、みんなの当たり前を造っているんだよ、と言い聞かせて差し上げたい。
まぁ、目の前のフライドポテトやかき氷より 工場の赤サビや機能美に興味をもて、というのもなかなか酷ではあるが、少しでもそういった何かを感じとって欲しいのだ。

ただ、もしコドモ時代の僕がこの場所に繰り出したならば、フライドポテトやかき氷を無視して、赤サビやその機能美に夢中になっていただろう。
融けゆくかき氷そっちのけで、流れるベルトコンベアをじっと見る。ある意味 近視眼すぎるコドモである。


#358

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早朝から武蔵野線で移動中。千葉県は君津の工場を見学する予定だ。

驚く点として、この時間帯でも鉄道の利用者が多いことと、どんよりした空模様。相変わらずスカッとした天気に縁がない。


東京異常階段 について

■ 作者:
 文豪きどり
 松岡
 1982/05/29 -
 好きな食べ物は屋台の焼きそば
■ 概要:
 □ 異常階段:
 東京近郊に存在する たぐいまれな階段を紹介
 □ column - TokyoShortSight:
 東京に住むいち人間として近視眼的にモノを見て、そのことについて書いてます
■ メール:
 matsuoka@ijo-kaidan.net

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